私たちの社会が変わる時:障がい者施策の大きな転換点【2000年以降の障がい者施策 前編】

【第1回の要点】

  • 2000年以降、日本の障がい者施策は「個人の問題」から「社会の課題」へと、考え方が大きく変わりました。
  • 新しい「社会モデル」では、社会にある建物や制度、人々の意識といった「社会的障壁」が障害を生み出していると考えます。
  • この新しい考え方が目指すのは、障害の有無に関わらず、誰もがお互いを尊重し支え合う「共生社会」です。

第1章:考え方の劇的な転換点

最近、街なかでスロープが増えたり、駅のアナウンスが丁寧になったりしていると感じませんか?実はこれ、ここ20年ほどの間に、日本の「障がい」に対する考え方が劇的に変わったことと深く関係しています。2000年以降、日本の障がい者施策で最も大きな変化は、この考え方の「劇的な転換(パラダイムシフト)」が起こったことです。それは、障害を「個人の問題」として捉える考え方から、「社会全体の課題」として捉える考え方への転換でした。これまでの社会で主流だったのは「医学モデル」という考え方です。これは、障害を個人の心や身体の機能的な問題、つまり病気やケガと同じように捉えます。例えば、「車いすの人が建物に入れないのは、その人の足が不自由だからだ」と考え、解決策は本人のリハビリや治療ということになりがちでした。社会の側は、障害のある人を「保護する」「支援してあげる」という立場になりやすく、社会そのものが変わるという発想には至りにくかったのです。しかし、この考え方では、個人の努力だけではどうにもならない社会の様々な不便さや困難が見過ごされてしまいます。こうした反省から、新しい考え方への転換が必要となったのです。

第2章:「社会の壁」が障害を生む?新しい視点

これまでの「医学モデル」に代わり、新しいスタンダードとなったのが「社会モデル」という考え方です。これは、障害を生み出しているのは個人の心身の状態ではなく、社会の側にある様々な「障壁(バリア)」である、と捉えます。先ほどの例で言うと、「車いすの人が建物に入れないのは、建物にスロープやエレベーターがないからだ」と考えます。つまり、問題は個人ではなく、社会の側にあるという視点の転換です。この「社会的障壁」には、建物や道路の段差といった物理的なものだけではありません。例えば、障害があるという理由で資格が取れなかったり、サービスを利用できなかったりする「制度の壁」。音声案内や手話通訳がなく、必要な情報が伝わらない「文化・情報の壁」。そして何より根深いのが、「障害のある人には、これは無理だろう」といった、私たちの心の中にある偏見や無関心といった「意識の壁」です。社会モデルは、これらの社会の側にある障壁を一つひとつ取り除いていくことで、障害のある人もない人も、同じように社会に参加できる、と考えます。社会が変われば、障害は「障害」でなくなるかもしれない。これは、私たち全員に社会を変える当事者になることを求める、力強いメッセージなのです。

第3章:みんなで目指す「共生社会」

「社会モデル」という新しい考え方が最終的に目指しているのが、「共生社会」の実現です。言葉だけ聞くと少し難しく感じるかもしれませんが、これは私たちの未来にとって非常に大切な目標です。日本の法律(障害者基本法)では、共生社会を「全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会」と定めています。これは、単に障害のある人とない人が同じ場所にいる「共存」の状態を指すのではありません。障害のある人を「特別な存在」として区別したり、一方的に「助ける対象」と見なしたりするのではなく、誰もが社会を構成する対等な一員として、お互いの違いや個性をありのままに認め、尊重し、そして時には支え合う社会のことです。例えば、車いすを使っているからこそ気づける街の改善点があったり、視覚に障害があるからこそ優れた聴覚や記憶力を仕事に活かせたりするように、多様な人々がいるからこそ、社会はより豊かで強くなれるという考え方が根底にあります。この壮大な目標に向かって、日本の社会は今、ゆっくりと、しかし確実に舵を切り始めたのです。



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