第2回の要点
- 「社会モデル」という新しい考え方を実現するため、福祉サービスは行政が決める形から、本人が選ぶ形へと大きく変わりました。
- 国連の「障害者権利条約」という世界的なルールが、日本の法律を「社会モデル」の考え方に沿って進化させる大きな後押しとなりました。
- 「障害者差別解消法」により、障害を理由にした不当な差別が禁止され、社会全体で「合理的配慮」を提供することがルール化されました。
第1章:サービスは「自分で選ぶ」時代へ
第1回でお話しした「社会モデル」という理念を現実にするため、福祉サービスの世界は大きく変わりました。2000年代初頭まで、福祉サービスは行政が決定する「措置」が中心でしたが、「自分の生活は自分で決めたい」という声に応え、2003年に利用者が事業者と契約する「支援費制度」が始まります。しかし、財源不足や地域格差という壁に直面し、これを乗り越えるため2006年に「障害者自立支援法」が制定されました。この法律は、身体・知的・精神という障害の種類に関わらない一元的なサービスを目指す画期的なものでしたが、利用した分だけ自己負担を求める「応益負担」が、多くの当事者の生活を圧迫するという深刻な問題を生みました。この反省を踏まえ、2013年に現在の制度の中心である「障害者総合支援法」が誕生します。利用者負担は所得に応じたものに見直され、対象者に難病の方などが加わることで「制度の谷間」も解消が図られました。行政が決める時代から、自分で選び、そして社会全体で支え合う時代へ。福祉サービスは、試行錯誤を繰り返しながら、当事者本位の姿へと進化してきたのです。
第2章:世界基準のルールが後押し
国内での制度改革と並行して、大きな後押しとなったのが国際社会の動きです。2006年、国連で「障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)」が採択されました。これは、障害者の尊厳や人権、自由を保障するための、世界で最も重要なルールです。この条約は、第1回で説明した「社会モデル」の考え方を明確に採用しており、加盟国に対して、社会のあらゆる場面で障害者の権利が保障されるよう、国内の法律や制度を整備することを求めています。日本もこの条約に加わるため、法律の整備を加速させました。その象徴が、日本の障がい者施策の根幹である「障害者基本法」の2011年の大改正です。「社会的障壁」という言葉や、後述する「合理的配慮」の考え方が、この時に法律へとはっきりと書き込まれました。黒船来航のように、国際社会からの大きな波が、日本の国内改革を力強く後押しし、「社会モデル」という新しい考え方を、単なる理念から具体的な社会のルールへと引き上げる原動力となったのです。この国際基準との出会いがなければ、日本の障がい者施策の進展はもっと遅れていたかもしれません。
第3章:「差別」にNO!を突きつける法律
新しい考え方を社会に根付かせるための総仕上げとも言えるのが、2016年に施行された「障害者差別解消法」です。この法律は、障害のある人に対する「差別」とは何かを具体的に示し、それをなくしていくための社会全体のルールを定めました。法律の柱は二つあります。一つは「不当な差別的取扱いの禁止」。これは、障害があるという理由だけで、お店への入店を断ったり、アパートを貸さなかったり、習い事への参加を認めなかったりといった、正当な理由のない区別を明確に禁止するものです。もう一つの柱が「合理的配慮の提供」です。これは、障害のある人から、社会的な障壁を取り除くために何らかの対応を求められた際に、負担が重すぎない範囲で、柔軟に対応することを求めるものです。例えば、飲食店でメニューを読み上げたり、イベントで車いす用のスペースを確保したりといった、少しの工夫や手助けのことです。2024年4月からは、これまで努力義務だった民間事業者にも、この「合理的配慮」の提供が法的な義務となりました。これは、社会全体で障壁をなくしていくという、強い決意の表れなのです。