高度経済成長期と1980〜90年代:児童虐待問題の顕在化と家庭支援強化【児童福祉の歴史 第2回】

今回の要点

  • 高度経済成長期(1960〜70年代)には児童手当や母子保健施策など子どもや家庭を支える制度が充実しました。その陰で都市化による家庭の孤立化が進み、児童虐待や育児放棄といった問題が徐々に顕在化しました。
  • 1980〜90年代には児童虐待が社会問題として認識され始め、子どもの権利条約批准を契機に国も虐待防止へ動き出しました。児童福祉法改正やエンゼルプラン策定などを通じ、地域で子育て家庭を支える体制整備が進められました。
  • 2000年に児童虐待防止法が成立し、虐待対応は法的裏付けをもつことになりました。これにより児童福祉の焦点は「すべての子どもの健全育成」に加え、虐待から子どもを守ることが重視されるようになりました。

第2回では、1960〜70年代の高度経済成長期と、続く1980〜90年代の児童福祉の変遷を見ていきます。経済成長による制度拡充と、児童虐待問題の表面化・家庭支援策の強化に注目します。

1. 高度成長期における児童福祉制度の拡充

1950年代後半から1970年代前半にかけて、日本は高度経済成長を遂げ、暮らしは豊かになりました。人口の都市集中や核家族化が進む一方、専業主婦世帯も増え、子どもを取り巻く環境は大きく変化します。この時期、政府は社会保障の充実に乗り出し、児童福祉分野でも新たな制度が整えられました。

1960年代前半には、一人親家庭への児童扶養手当支給(1961年)や母子家庭福祉の充実(1964年)、乳幼児の保健サービス整備(1965年)などが次々と制度化されました。子どもの健康と育ちを支える制度が充実する一方で、社会環境の変化に伴い、それまで家庭内に埋もれていた育児不安や養育困難が表面化し始めました。また、都市化などにより家庭や地域の養育力が低下し、児童虐待の兆候が徐々に指摘され始めた時期でもありました。1970年代には一部メディアで家庭内虐待の実態が報じられ、社会に衝撃を与えています。このように、高度成長期の後半には経済発展の陰で児童への虐待・育児放棄や家庭内問題が潜在化していたのです。

2. 児童虐待への社会的関心の高まり(1980年代〜)

1970年代後半から1980年代になると、経済成長が一服し社会も成熟期を迎えます。この頃、これまで表面化しづらかった家庭内での子ども虐待に世間の注目が集まり始めました。1980年代には、幼い子どもが親からの虐待で死亡する事件が報道で大きく取り上げられ、世間に衝撃を与えました。「しつけ」の名の下に行われていた行為が子どもの人権を侵す虐待であるとの認識が徐々に広まっていきます。

こうした中、国際的には子どもの権利を守る動きが進んでいました。1989年に国連で採択された児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)は、子どもの最善の利益を確保し基本的人権を保障するための国際条約です。日本は当初この条約の批准に消極的でしたが、平成6年(1994年)にようやく批准しました。これを機に国内でも子どもの権利擁護の観点から虐待防止に取り組む姿勢が強まります。1994年には厚生省が全国の児童相談所に虐待防止の通達を出し、家庭内虐待への積極的介入を促しました。これにより潜在していた虐待が次々と明るみに出て、相談件数は1990年代後半から急増しています。

各地で民間の虐待防止団体が活動を始め、自治体も通報体制を整備し始めました。しかし当時は虐待を直接取り締まる法律がなく、行政対応は児童福祉法による措置(一時保護や保護者指導)が中心でした。こうした中、「子どもを虐待から守る法律が必要だ」という世論が高まり、法制化への動きが本格化します。

3. 家庭支援策の強化と児童虐待防止法への道(1990年代)

1980〜90年代はまた、子育て家庭を支援する政策が飛躍的に強化された時期でもあります。その背景には、女性の社会進出や共働き家庭の増加、そして少子化の進行がありました。1980年代後半には出生率の低下が顕著となり、平成元年(1989年)の合計特殊出生率1.57(いわゆる「1.57ショック」)は社会に大きな危機感をもたらしました。これを受け政府は、子育て支援を国家的課題として位置づけ、総合的な対策を打ち出します。

平成3年(1991年)には働く親のため育児休業制度が創設されました。平成6年(1994年)にはエンゼルプラン(少子化対策の5か年計画)が策定され、保育サービスの拡充や学童保育の整備など幅広い子育て支援策が推進されます。平成11年(1999年)には新エンゼルプランとして施策がさらに強化されました。

同時期、児童福祉法も改正を重ね、地域での子育て支援体制が法的に整備されました。平成9年(1997年)の児童福祉法改正では、深刻化する児童虐待問題や増加する共働き家庭の状況を踏まえ、大幅な制度見直しが行われます。この改正で児童家庭支援センターの創設(在宅家庭への相談支援)や学童保育の法定化などが実現し、児童虐待への対応力も強化されました。厚生省も同年、児童相談所が虐待ケースで積極的に措置介入するよう通知を出しています。

そして平成12年(2000年)、ついに日本初の包括的な児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)が国会で成立します。この法律により虐待の定義や通告義務が定められ、児童相談所の権限も強化されました。児童虐待防止法の制定は日本の児童福祉の大きな転換点となり、子どもを虐待から守る取り組みが本格化していきます。

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